2013年4月30日火曜日

<5月の放送>西洋医学が華開いた豊後府内と中津藩


大分に住んで何年になるでしょうか。
子どもの頃から、アルメイダ病院は知っていましたが、その名称が外国人の名前
から由来すると知ったのはいつだったか・・・

今となっては思い出すのが難しいですが、みなさんはアルメイダって知っていましたか。
またアルメイダによって大分が日本の西洋医学発祥の地になりえたことも・・・

このポルトガル人のルイス・デ・アルメイダは大友宗麟の時代に
敬愛する神父を追いかけて豊後にやってきました。

医師でもあり貿易商人でもあったアルメイダは豊後を訪れると庶民の暮らしに
衝撃を受けたのです。

貧しい暮らしをしていた当時の豊後府内の人々は間引きといって、捨て子やいわば中絶など嬰児殺しを行っていた。クリスチャンであったアルメイダ、キリスト教では子どもは神の子という教えを受けていたのでその光景はとてつもなくショックを受けたのです。

また病気や怪我などで苦しんでる人々を目の当たりにして、自ら病院をつくり
無償で人々を医療で救ったのです。

病院をつくった!?て思うかもしれませんが、アルメイダはなにせ香料(スパイス)貿易で相当、儲けてたので病院や育児院をつくるなどは朝飯前だったのでしょう。

そんなアルメイダが当時、貿易によってどれくらい儲けてたかというと、ある学者によれば
1兆円、またある学者は3兆円とも言っています。

国家予算ぐらいの資産を持っていたので余裕だったのでしょう。

冨にも恵まれ人間愛に満ちたアルメイダのその精神を引き継ぐべく、大分医師会ではその名前を病院の名称に取り入れたという訳です。

病院内ではそのアルメイダの功績を讃え、胸像とメモリアルホールがあります。
残念なことにメモリアルホールは普段、一般公開しておりません。

アルメイダの精神は現在のアルメイダ病院に息づいています。


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