2013年12月12日木曜日
12月の放送【豊後キリシタンの軌跡】
今回は「豊後キリシタンの軌跡」をご紹介しました。
これまで本番組でも「大友宗麟」(2月放送)、「ローマへ旅した二人のサムライ」(3月放送)などで大分県のキリシタン文化についていくつか触れてきましたが、今回はさらに深い話を3人の解説者に語っていただきました。
そもそも、大分県にこれだけのキリシタン文化が根付いていた事をみなさんご存知でしたでしょうか。
中でも今回ご紹介した竹田市には、全国的にも珍しいキリシタンの遺跡や遺物が数多く残っています。
竹田といえば、岡城、武家屋敷など戦国時代のイメージが強いのではないでしょうか。
しかし、最盛期には全国でも約30万人がいたキリシタンの中でも、5万人が豊後に、そしてその半数以上の3万人が竹田に存在していたと言われています。
殿町洞窟礼拝堂をはじめ、竹田には信者が礼拝していたと思われる洞窟や稲荷が20ヶ所近く確認されています。
しかし、意外にも地元の方々も本来の存在意味を知らずに過ごしていたり、文献や資料がほとんど残っていないため、「キリシタンのもの」と断定することができないことも事実です。
本編ではご紹介できませんでしたが、竹田の中川神社にはキリシタンに関する国指定重要文化財である「サンチャゴの鐘」が保管されています。
調べてみると、もともとは長崎にあったものらしいのですが、なぜ中川氏の手に渡ったのかは謎のままです。
また、キリスト教が迫害されていた時代になぜ藩主がそれを受け取っていたのかということも興味をそそりますよね。
未だ知られざるキリシタン文化が眠っている竹田市。
近い将来、歴史を覆す大発見がないとも言い切れません。
こんな事を考えながら竹田に赴くと、また違った風景が見えてくるかもしれませんね。
キリスト教といえば、宣教師「フランシスコ・ザビエル」が有名ですが、実はその一族の末裔が福岡にいらっしゃるんです。
ザビエルの兄ミゲルの末裔(15代目の子孫)でイエズス会福岡修道院のルイス・フォンテス神父という方です。
謎多き竹田にも足を運ばれたことがあり、しかも日本に帰化し、日本名は「泉類治」(フォンテ=スペイン語で「泉」、ルイス=ルイジ)と言うそうです。
教科書でしか見た事のない異国の偉人の末裔が、それほど遠くはないところにいるということには驚きました。
今回解説者として出演していただいた「聖イエス会 栄光の賛美教会」の篠光子牧師は、もともと兵庫県にて「アンネ・フランク」について研究されていた方。日本アンネ・フランク資料館(アンネのバウの教会)を兵庫県西宮市に創立し、初代館長を務めた人物である。
牧師と大分の地とを結びつけたのもやはりキリシタンの遺物で、本編でも紹介した池見邸での発見だったそうです。
キリシタンと言えば、九州では長崎や熊本県の天草などを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
しかし、実はこの豊後国・大分がキリスト教の大いなる布教地であったことはあまり知られていないのではないでしょうか。
そういった事実は、もっと地元に目を向け、後世に伝えていくべきものだと思います。
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