今回は「大分の河童伝説」についてご紹介しました。
河童伝説は全国各地に残っており、大分県も例外ではありません。
頭のお皿に背中の甲羅、短いくちばしに手足の水かきという姿。また、いたずら好きで相撲が得意、人の尻子玉とキュウリが大好物というのは、誰もが知る河童のイメージですよね。
ちなみに河童と相撲をとるときは、仏様へのお供え物を食べて戦うと、子どもでも勝てるのだそうです。
緑色で描かれることが多い河童ですが、赤色の河童もいるとのこと。また、河童の多くは湖沼や川に住んでいますが、福岡県の地行浜の「酒飲み河童」は海に住んでいるそうなんです。
実は河童の由来として、中国神話に登場する黄河の神「河伯(かはく)」が海を渡り、河童となったという説もあるので、海に河童がいたとしても不思議ではないでうよね。
蛇足ですが、『西遊記』に登場する沙悟浄は、日本では河童の姿でおなじみですが、中国では河伯であるとされています。
さて、今回は県内の河童伝説をいくつかご紹介しましたが、取材で一番驚いたのが中津市にある金剛山自性寺に所蔵されている「河童の詫び証文」です。
「河童のミイラ」や「河童図」などは多く残っていますが、「河童直筆の書」というのは全国を探しても自性寺だけではないでしょうか。
詫び証文を書いた河童の名は「ケンヒキ太郎」。証文のあらすじは「今後中津の人々に悪さをしない事を誓う」といった内容で、天明6年(1786年)6月15日付けで書かれていますが、なかなかの達筆です。
自性寺の境内には河童の墓もあり、改心した後は仏様を信仰していたのかもしれませんね。
同じく中津市の耶馬渓町にある雲八幡宮では300年以上の歴史をもつ「かっぱ祭り」が毎年開催されています。
平家の落人の霊魂が河童になって荒れ狂っていたため、それを鎮める為の神事として奉納されていたお祭りですが、厄払いや五穀豊穣の意味も込められています。
雲八幡宮には狛犬ならぬ狛河童「あ・うんの河童」が鎮座しており、本殿にも河童に関する天井画が数多く描かれていています。
このように、お寺と神社、どちらにも影響を与えている河童は、人々にとってたいへん身近な存在だったのでしょう。だからこそ、現代社会にまで数多くの伝説が残っているのだと思います。
想像上の生き物とされている河童ですが、宇宙人説であったり、現代でも稀に河童の目撃情報があるようで、未確認生物としてもあげられます。
もし実在しているのなら、一度相撲をとってみたいものです。
もちろん、仏様に手を合わせ、お供え物を拝借してからですが・・・
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