今回は「首藤コレクション」で知られる実業家 首藤定をご紹介しました。
現在、臼杵市野村には首藤定の功績を称え、顕彰碑が建てられています。
が、しかし、案内板などなく(見つけられなかったのかもしれませんが・・・)、地図を参考に車一台通れるくらいの狭い道を不安になりながら通っていくと、住宅と住宅の間に突然現れて驚きました。
生家の近くにあるとされていますが、どこが生家なのか見つけられなかったのが残念です。できればこれだけの功績を残した人物、顕彰碑や生家に行く為の「分かりやすい」案内板を設置していただけると、天国の首藤定も喜ぶのではないでしょうか。
ただ、臼杵市内が見渡せる場所にあり、市街地に視線を向ける首藤定の胸像が、未だ臼杵を見守っているように見えたのが印象的でした。
さて首藤定といえば、自らのコレクションの一切を投げ出し日本人慰留民を救った
人物として有名です。
「首藤コレクション」と呼ばれる彼の美術品や骨董品は、師事していた白須直の影響もありますが、彼自身が大連に美術館を建てたいという思いから収集されたものでした。
日本から来る芸術家達は、まず首藤定のもとを訪ねるのが通例となっていたそうです。やはり偽物をつかまされる事もあったそうですが、真偽を見る目を養い、良作には惜しみなく金を出し、優れた芸術品を集めていました。
以前番組でも紹介した日本画家 福田平八郎とは友人関係であり、首藤コレクションには多くの福田平八郎作品が残されているほか、自宅に招くほど仲が良かったそうです。そんな貴重な、そして自分の夢のために集めたコレクションを、慰留民のために手放した、彼の気持ちは我々には想像つきません。それでも難民のためにそこまでのことができる首藤定は、やはり大分が誇る偉大な人物ですね。
ちなみに、帰郷してからは美術品の収集は行っていなかったそうです。
美術品の多くは、ロシア国立東洋美術館で保管されているそうですが、未だに行方不明のものもあるとのこと。せっかく県立美術館OPAMもオープンしたことですし、行方不明品の追跡や「首藤コレクション」の展示をぜひ開催していただきたいですね。
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