大分市の中心。
こんな町の中に由緒あるお寺があるのにはとっても驚いた。
今までは何気なく通り過ぎてしまっていた。
「お寺の修業は厳しい」というイメージはあったものの、
実際にどんな修業をして、どんな生活をしているのか想像がつかなかった。
朝は4時から。
私の普段の生活だと、熟睡している時間。
だから朝のお経と坐禅は眠気との戦いだった。
眠気との戦いを経てたどり着いた朝食の時間。
お腹が空いて楽しみで楽しみで・・・!
メニューはお粥に漬けもの。
味付けをしていないお粥だから、食べなれない味。
普段なら、漬けものをおかずにお粥を食べるが、
万寿寺で教えていただいた食べ方はそうじゃなかった。
お粥はお粥の味を味わう。
漬けものは漬けものの味を味わう。
最初は食べなれないだけに少しだけ抵抗があった朝食。
でも素材そのものの味を堪能することができた気がした。
その後の掃除の時間は長く感じた。
学生時代でも3時間掃除に集中したことがなかった気がずる。
雲水さんたちはそれぞれの持ち場を掃除していくのだが、私語は一切ない。
朝から一切休む暇もなく働いてるし、
みなさんはどんな時にコミュニケーションをとるのかちょっと気になった。
昼食は朝食に比べてボリュームがある。
食事の最後には食器をすすぐために配られるほうじ茶。
最初は抵抗があったがすべてを余すことなくいただくという考えに、
私自身の普段の生活を考え直さなくてはいけないなと思った。
午後も引き続き掃と農作業。
掃除するところは私たちが普段からすることと基本的には同じ。
ほうきで掃いて、雑巾がけをし、ゴミを片づける。
でも、敷地が広いだけに時間がかかる。
農作業はかなり重労働だ。
畑を耕し、腐葉土はお寺の敷地内に落ちた枯れ葉から。
自給自足に近い生活。
ご住職は、「皆さんの生活と基本的には何も変わりませんよ!」と語っていた。
確かに、基本的には変わらないかもしれない。
でも、坐禅を組む、食事をする、掃除をする・・・生活時間帯や習慣は違えども
一つの事に集中するという当たり前のことには変わりはない。
私たちはは今、たくさんの物や情報に囲まれて目の前のものの本質を思う時間などない気がする。
万寿寺での生活はそんな当たり前ことを考えさせられる生活のような気がした。