今月2月と来月3月は「前編」「後編」の2回にわけ、第3代大分市長を務めた上田保をご紹介します。
今回は「彫刻の町 大分市」と題して、遊歩公園とその周辺にある彫刻や彫像をはじめ、それらを設置した背景、また上田保の生い立ちなどをご紹介しました。
ちなみに私は大分に来て十数年になりますが、これまで遊歩公園の彫像をしっかりと見た事がなく、どこにどんな彫像があるのかさえよく分かっていませんでした。
しかし今回の取材を通して、それぞれの彫像が持つ意味や由来などを知る事ができました。
余談ですが、大分に来た当初「遊歩公園」を耳で聞いた感じで「UFO公園」だと勘違いしていました。どこを探してもUFOなどなく、彫像ばかりの公園を不思議に思っていたものです・・・
現
在は大分駅の再開発に伴い、駅前に大友宗麟のもとで南蛮文化を受容した時代を表す彫刻を一堂に集める計画があるようです。遊歩公園の「西洋劇発祥記念
碑」、「育児院と牛乳の記念碑」、「伊東ドン・マンショ像」、「西洋医術発祥記念像」は将来的に府内中央口(北口)駅前広場に移設される予定です。
でも「滝廉太郎君像」をはじめ、その他の彫刻がどうなるのか気になるところですよね。しっかりと後世に伝えていけるよう、管理や整備をしてほしいですね。
そして、彫像設立の資金源にもなっていた「大分生態水族館マリーンパレス」。
現在は「うみたまご」の愛称で親しまれ、県内外から多くの観光客が訪れる大分市の一大観光名所となっています。世界初の潮流式回遊水槽を実現した水族館で、1964年の開館から7年間、日本国内で最も入場者数の多い水族館でもありました。やはりあの大水槽は圧巻ですよね。また、魚類の曲芸も当時では珍しく、私も幼い頃に見たデンキウナギやテッポウウオに感動した覚えがあります。
現在でも年間60万人以上が訪れる九州でも屈指の人気水族館です。創業者の上田保もこの人気を予想していたのかもしれませんね。
さて、来月は「上田保 後編」です。
前編では紹介しきれなかった上田保の人物像や様々な業績を掘り下げていきます。是非
ご覧ください。