2015年10月9日金曜日

10月の放送 一遍上人




今回は鉄輪温泉の開祖 一遍上人をご紹介しました。
その一遍上人と温泉の恵みに感謝するのが、毎年9月21日から23日の3日間開催する「湯あみ祭り」。
温泉で清められている一遍上人像は、何となく気持ち良さそうにみえませんでしたか?
法要が行われる「渋の湯」の近くに、一遍上人が開いたとされる「旧蒸し湯跡」があり、その隣には「一遍湯かけ上人」というお地蔵さまがあります。
一遍上人がモデルのお地蔵様なのですが、具合の悪い部分を上人様に見立て、同じ箇所にお湯をかけて願掛けすると、良くなるのだとか。
私はとりあえず頭から全部お湯をかけさせていただきました。

また一遍上人が開いたとされる永福寺は、時宗のお寺では県内唯一。
堂内には一遍上人木像や上人が辿った道筋が掲げられており、「湯あみ祭り」の時ではなくとも鉄輪の歴史に触れることができるお寺です。
余談ですが、永福寺のほぼ隣に「湯あみ堂本舗」というお店があります。
創業からおよそ40年の手焼き煎餅専門店。オリジナルの柚子味噌が入った「湯あみせんべい」は鉄輪散策のお供に、そして別府のお土産にピッタリです。

さて一遍上人の伝説で個人的に思った事がひとつあります。
僧侶であるのに「神の声」を聞く事ができた一遍上人。
神様もよく僧侶に話しかけたなあと。
さすが神仏習合発祥の地 大分ですね。他の土地ならそうはいかなかったかもしれないと考えてしまいました。

なにはともあれ、今の鉄輪温泉があるのは一遍上人のおかげといっても過言ではありません。
現在も彼にちなんだ地名が数多く残されています。例えば「上人ヶ浜」は一遍上人が九州に初上陸した浜と言われており、周辺には上人ヶ浜町や上人本町などもあります。
長い間語り継がれる一遍上人の伝説。もしかしたら温泉の中で親から子へ、そして孫へと伝わってきているのかもしれませんね。

10月のプレゼント

 
今月は天領焼酎 「鉄輪」を10名のみなさまにプレゼントいたします。
 
宛先 

〒870-1193 大分市松が丘59-12
大分ケーブルテレコム
○視聴者プレゼント係

締め切りは2015年11月5日まで
 
※住所、氏名、年齢、番組の感想をご記入の上
官製ハガキにてご応募下さい。    
 

2015年9月7日月曜日

9月の放送 首藤定




今回は「首藤コレクション」で知られる実業家 首藤定をご紹介しました。
現在、臼杵市野村には首藤定の功績を称え、顕彰碑が建てられています。
が、しかし、案内板などなく(見つけられなかったのかもしれませんが・・・)、地図を参考に車一台通れるくらいの狭い道を不安になりながら通っていくと、住宅と住宅の間に突然現れて驚きました。
生家の近くにあるとされていますが、どこが生家なのか見つけられなかったのが残念です。できればこれだけの功績を残した人物、顕彰碑や生家に行く為の「分かりやすい」案内板を設置していただけると、天国の首藤定も喜ぶのではないでしょうか。
ただ、臼杵市内が見渡せる場所にあり、市街地に視線を向ける首藤定の胸像が、未だ臼杵を見守っているように見えたのが印象的でした。

さて首藤定といえば、自らのコレクションの一切を投げ出し日本人慰留民を救った
人物として有名です。
「首藤コレクション」と呼ばれる彼の美術品や骨董品は、師事していた白須直の影響もありますが、彼自身が大連に美術館を建てたいという思いから収集されたものでした。
日本から来る芸術家達は、まず首藤定のもとを訪ねるのが通例となっていたそうです。やはり偽物をつかまされる事もあったそうですが、真偽を見る目を養い、良作には惜しみなく金を出し、優れた芸術品を集めていました。
以前番組でも紹介した日本画家 福田平八郎とは友人関係であり、首藤コレクションには多くの福田平八郎作品が残されているほか、自宅に招くほど仲が良かったそうです。そんな貴重な、そして自分の夢のために集めたコレクションを、慰留民のために手放した、彼の気持ちは我々には想像つきません。それでも難民のためにそこまでのことができる首藤定は、やはり大分が誇る偉大な人物ですね。

ちなみに、帰郷してからは美術品の収集は行っていなかったそうです。
美術品の多くは、ロシア国立東洋美術館で保管されているそうですが、未だに行方不明のものもあるとのこと。せっかく県立美術館OPAMもオープンしたことですし、行方不明品の追跡や「首藤コレクション」の展示をぜひ開催していただきたいですね。


9月のプレゼント



今回は、かぼすサブレを抽選で10名のみなさまにプレゼントいたします。
 
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2015年8月3日月曜日

8月の放送 重光葵




今回は戦後70年という事で、日本を戦争から平和に導いた重光葵をご紹介しました。
私自身、重光葵のことを全く知らず、取材を通してたいへん偉大な人物だという事が
分かりました。
重光葵は、本当に家族と日本を愛していたんだという印象を受けました。
高校から親元を離れ、外交官となって各国へと赴任してからも、定期的に家族へ手紙を送り続けていたそうです。今でも家族へ宛てた多数の手紙や写真が残されています。
漢学者であった父はたいへん厳しかったそうで、朝は井戸水で身体を清め、床の間で教育勅語を暗唱させられていたといいます。
しかしながら、海外へも目を向け、重光へ英語やドイツ語を勉強するように説いたのも父だったそうです。
この教えが、右足を失おうが折れない強い精神力と、深い愛国心とともに国内外で活躍した重光葵の礎になっているのだと思います。


また重光は多くの重大事件に関わっています、やはり第二次世界大戦の降伏文書調停が最も印象に残ります。
重光は降伏文書にサインをする際「不名誉の終着点ではなく、再生の出発点である」と捉え、そのときの心境を「願くは 御國の末の 栄え行き 我が名さけすむ 人の多きを」(日本の行く末が栄えて、降伏文書に署名した私の名前を蔑む人が多いことを願いたい)と詠んでいます。
強固な帝国主義の時代、しかも敗戦確実な状況で後世の繁栄を考えたのは重光だけだったのではないかと思います。
蔑むことはなくとも、現代日本の発展と平和があるのは重光葵のおかげと言っても過言ではありません。

学校で学ぶ幾多の戦争や国際的事件に関わり、しかも大分出身なのですが、大分県民にもその来歴や人物像を知らない方が多いと取材先で伺いました。
8月22日(土)からは、大分県先哲資料館において重光葵の企画展も開催されます。
多くの方に足を運んでいただき、重光のことはもちろん、日本が平和である意味を考える機会になればと思います。


8月のプレゼント





今回は「日本のいちばん長い日」の映画鑑賞券を抽選でペア3組にプレゼントいたします。




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〒870-1193 大分市松が丘59-12
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2015年7月8日水曜日

7月の放送 大分の河童伝説


今回は「大分の河童伝説」についてご紹介しました。
河童伝説は全国各地に残っており、大分県も例外ではありません。
頭のお皿に背中の甲羅、短いくちばしに手足の水かきという姿。また、いたずら好きで相撲が得意、人の尻子玉とキュウリが大好物というのは、誰もが知る河童のイメージですよね。
ちなみに河童と相撲をとるときは、仏様へのお供え物を食べて戦うと、子どもでも勝てるのだそうです。

緑色で描かれることが多い河童ですが、赤色の河童もいるとのこと。また、河童の多くは湖沼や川に住んでいますが、福岡県の地行浜の「酒飲み河童」は海に住んでいるそうなんです。
実は河童の由来として、中国神話に登場する黄河の神「河伯(かはく)」が海を渡り、河童となったという説もあるので、海に河童がいたとしても不思議ではないでうよね。
蛇足ですが、『西遊記』に登場する沙悟浄は、日本では河童の姿でおなじみですが、中国では河伯であるとされています。

さて、今回は県内の河童伝説をいくつかご紹介しましたが、取材で一番驚いたのが中津市にある金剛山自性寺に所蔵されている「河童の詫び証文」です。
「河童のミイラ」や「河童図」などは多く残っていますが、「河童直筆の書」というのは全国を探しても自性寺だけではないでしょうか。
詫び証文を書いた河童の名は「ケンヒキ太郎」。証文のあらすじは「今後中津の人々に悪さをしない事を誓う」といった内容で、天明6年(1786年)6月15日付けで書かれていますが、なかなかの達筆です。
自性寺の境内には河童の墓もあり、改心した後は仏様を信仰していたのかもしれませんね。

同じく中津市の耶馬渓町にある雲八幡宮では300年以上の歴史をもつ「かっぱ祭り」が毎年開催されています。
平家の落人の霊魂が河童になって荒れ狂っていたため、それを鎮める為の神事として奉納されていたお祭りですが、厄払いや五穀豊穣の意味も込められています。
雲八幡宮には狛犬ならぬ狛河童「あ・うんの河童」が鎮座しており、本殿にも河童に関する天井画が数多く描かれていています。

このように、お寺と神社、どちらにも影響を与えている河童は、人々にとってたいへん身近な存在だったのでしょう。だからこそ、現代社会にまで数多くの伝説が残っているのだと思います。

想像上の生き物とされている河童ですが、宇宙人説であったり、現代でも稀に河童の目撃情報があるようで、未確認生物としてもあげられます。
もし実在しているのなら、一度相撲をとってみたいものです。
もちろん、仏様に手を合わせ、お供え物を拝借してからですが・・・