2015年12月13日日曜日

12月の放送 大分の味


今回は「大分の味」と題して、大分の郷土料理をご紹介しました。
県内各地で古くから伝わる郷土料理。そのどれもが個性的で、現在も幅広い年代に愛されています。

番組で紹介した料理も、召し上がったことがある方もいらっしゃると思います。
私自身、食べた事があるものが多かったのですが、唯一初めて食べたのが臼杵市の「黄飯」でした。
その名のとおりクチナシで黄色に染めたご飯に、白身魚や根菜、豆腐などで作る「かやく」を乗せて食べる料理。
想像以上においしかったです。ご飯そのものは、色以外は日常食べているご飯とたいした変わりがないのですが、「かやく」とあわせることで、これまで味わった事のない料理に変身しました。
味付けは酒と醤油のみで、いたってシンプルですが、魚と野菜のうまみが凝縮していて、抜群のおいしさでした。
パエリアをヒントにしたという説もあり、かつては大友宗麟の影響で南蛮文化も広く伝わっていた臼杵ならではの料理だと思います。
食べた事がない方はぜひ一度召し上がっていただきたい一品です。
また「吉野鶏めし」もシンプルながらどこか懐かしく、深い味わいが県内外問わず人気の郷土料理です。
実際、吉野で研修を受けた方が東京にお店を構え、有名タレントさんもお気に入りなんだとか。
具材は親鶏とゴボウだけながら、味付けはもちろん、完全な炊き込みでもなく、混ぜ飯でもないのがおいしさのポイントなんだそうです。
佐伯のごまだしうどんも、つけ麺にすると絶品。お好みで大葉やネギなどトッピングしてもいいですよね。

「郷土料理」といえど、現代風にアレンジされたり、作り手によって材料や味付けのこだわりが変わったりと、食べ方や調理方法も多岐にわたっています。
伝統を残すだけではなく、「古きをたずねて新しきを知る」ことができるのも郷土料理の魅力ですね。
今回撮影した「レストランサッポロ」では、オーダーバイキングの中に「りゅうきゅう」「だんご汁」などの郷土料理メニューも取り揃えております。
また、「おもてなし郷土料理コース」では、「冠地どりの鳥天」や「かぼすヒラメの刺身」「とりめし」など大分の食材を使った全8品をご用意しています。
これからの忘年会シーズン、改めて郷土の味を堪能してはいかがでしょうか。

12月のプレゼント



レストランサッポロのお食事券3,000円分を抽選で3名のみなさまに
プレゼントいたします。


宛先 

〒870-1193 大分市松が丘59-12
大分ケーブルテレコム
○視聴者プレゼント係

締め切りは2016年1月5日まで
 
※住所、氏名、年齢、番組の感想をご記入の上
官製ハガキにてご応募下さい。    


2015年11月9日月曜日

11月の放送 中村裕博士


今回は「日本障がい者スポーツの父」と呼ばれる中村裕博士についてご紹介しました。
大分の障がい者スポーツの代表と言えば、番組でもご紹介した「大分国際車いすマラソン大会」ですね。
世界で初めて車いす単独のマラソン大会として開始されたこの大会は、今年で35回目を迎えます。
実は今大会から大幅な変更があるんです。
より多くのトップアスリートに世界中から参加してほしいと、優勝賞金及び記録更新賞金が大幅に増額されています。これまでT34/53/54クラスの優勝賞金が30万円だったんですが、今回からなんと100万円に。世界記録の更新では20万円から100万円になっています。
やはり世界でも有数の競技会としての意気込みを感じます。
さらに今回の大会は2016年のリオデジャネイロパラリンピックの選考会にも指定されている為、ハイレベルなレースになることは間違いなしですね。
実際競技を見てみると、スピード感やランナーの体格に圧倒されます。
パラリンピックでもランナーは50名程度なので、200名以上が一斉に大分の町を走り抜ける様子は他にはなかなかありません。ぜひ生で体感していただく事をお勧めします。
またボランティアの方々も県内外から多数参加されているのですが、競技運営以外、ランナーに過度なサポートはしていないことに驚かされます。
ほとんどのことはランナー自身が行っています。
こういったところにも「障がい者の自立」という中村博士の理念が根付いています。
さらに参加者から「大分は車いす使用者に対する視線が優しい」という意見も多数聞かれ、県民の中に障がい者を受け入れる意識が育まれています。
こういった様子を見て、中村博士が生きていたらどう思うのか気になりますね。
さて、先日天皇皇后両陛下も訪問され創立50周年を迎えた「太陽の家」も中村博士を語る上では欠かせません。一施設に天皇皇后両陛下が3度も訪問されるのはたいへん珍しいことなんだそうです。それだけ、日本にとっても注目すべき施設なんでしょう。
「太陽の家」内にある資料館には、歴史を示す写真をはじめ中村博士ゆかりの品々が数多く展示されています。
古いカメラや無線機などもあり、中村博士の趣味も垣間見えるところとなっています。
今 回特別にお邪魔させていただいた、三菱商事太陽株式会社のオフィスでは、車いすが通りやすいように床にはケーブル類がなく、幅が広い通路になっていたり、 各スイッチ類も車いすに座ったまま手が届くよう低い位置に設置されていたりと、障がい者が安心して仕事ができるように配慮されていました。
会社としてこういったことができる事はすばらしいと感じました。
中村裕博士が提唱した障がい者に対する考え方と、障がい者スポーツのありかたは、日本中に影響を与えています。
その理念を私たちもしっかりと受け止め、このように偉大な方がいたことを私たちは後世に伝えていかなければいけませんね。

11月のプレゼント


今回は、中村裕博士の半生を描いた漫画「太陽の仲間たちよ」を抽選で
10名のみなさまにプレゼントいたします。


宛先 

〒870-1193 大分市松が丘59-12
大分ケーブルテレコム
○視聴者プレゼント係

締め切りは2015年12月5日まで
 
※住所、氏名、年齢、番組の感想をご記入の上
官製ハガキにてご応募下さい。    
 


2015年10月9日金曜日

10月の放送 一遍上人




今回は鉄輪温泉の開祖 一遍上人をご紹介しました。
その一遍上人と温泉の恵みに感謝するのが、毎年921日から23日の3日間開催する「湯あみ祭り」。
温泉で清められている一遍上人像は、何となく気持ち良さそうにみえませんでしたか?
法要が行われる「渋の湯」の近くに、一遍上人が開いたとされる「旧蒸し湯跡」があり、その隣には「一遍湯かけ上人」というお地蔵さまがあります。
一遍上人がモデルのお地蔵様なのですが、具合の悪い部分を上人様に見立て、同じ箇所にお湯をかけて願掛けすると、良くなるのだとか。
私はとりあえず頭から全部お湯をかけさせていただきました。

また一遍上人が開いたとされる永福寺は、時宗のお寺では県内唯一。
堂内には一遍上人木像や上人が辿った道筋が掲げられており、「湯あみ祭り」の時ではなくとも鉄輪の歴史に触れることができるお寺です。
余談ですが、永福寺のほぼ隣に「湯あみ堂本舗」というお店があります。
創業からおよそ40年の手焼き煎餅専門店。オリジナルの柚子味噌が入った「湯あみせんべい」は鉄輪散策のお供に、そして別府のお土産にピッタリです。

さて一遍上人の伝説で個人的に思った事がひとつあります。
僧侶であるのに「神の声」を聞く事ができた一遍上人。
神様もよく僧侶に話しかけたなあと。
さすが神仏習合発祥の地 大分ですね。他の土地ならそうはいかなかったかもしれないと考えてしまいました。

なにはともあれ、今の鉄輪温泉があるのは一遍上人のおかげといっても過言ではありません。
現在も彼にちなんだ地名が数多く残されています。例えば「上人ヶ浜」は一遍上人が九州に初上陸した浜と言われており、周辺には上人ヶ浜町や上人本町などもあります。
長い間語り継がれる一遍上人の伝説。もしかしたら温泉の中で親から子へ、そして孫へと伝わってきているのかもしれませんね。

10月のプレゼント

 
今月は天領焼酎 「鉄輪」を10名のみなさまにプレゼントいたします。
 
宛先 

〒870-1193 大分市松が丘59-12
大分ケーブルテレコム
○視聴者プレゼント係

締め切りは2015年11月5日まで
 
※住所、氏名、年齢、番組の感想をご記入の上
官製ハガキにてご応募下さい。    
 

2015年9月7日月曜日

9月の放送 首藤定




今回は「首藤コレクション」で知られる実業家 首藤定をご紹介しました。
現在、臼杵市野村には首藤定の功績を称え、顕彰碑が建てられています。
が、しかし、案内板などなく(見つけられなかったのかもしれませんが・・・)、地図を参考に車一台通れるくらいの狭い道を不安になりながら通っていくと、住宅と住宅の間に突然現れて驚きました。
生家の近くにあるとされていますが、どこが生家なのか見つけられなかったのが残念です。できればこれだけの功績を残した人物、顕彰碑や生家に行く為の「分かりやすい」案内板を設置していただけると、天国の首藤定も喜ぶのではないでしょうか。
ただ、臼杵市内が見渡せる場所にあり、市街地に視線を向ける首藤定の胸像が、未だ臼杵を見守っているように見えたのが印象的でした。

さて首藤定といえば、自らのコレクションの一切を投げ出し日本人慰留民を救った
人物として有名です。
「首藤コレクション」と呼ばれる彼の美術品や骨董品は、師事していた白須直の影響もありますが、彼自身が大連に美術館を建てたいという思いから収集されたものでした。
日本から来る芸術家達は、まず首藤定のもとを訪ねるのが通例となっていたそうです。やはり偽物をつかまされる事もあったそうですが、真偽を見る目を養い、良作には惜しみなく金を出し、優れた芸術品を集めていました。
以前番組でも紹介した日本画家 福田平八郎とは友人関係であり、首藤コレクションには多くの福田平八郎作品が残されているほか、自宅に招くほど仲が良かったそうです。そんな貴重な、そして自分の夢のために集めたコレクションを、慰留民のために手放した、彼の気持ちは我々には想像つきません。それでも難民のためにそこまでのことができる首藤定は、やはり大分が誇る偉大な人物ですね。

ちなみに、帰郷してからは美術品の収集は行っていなかったそうです。
美術品の多くは、ロシア国立東洋美術館で保管されているそうですが、未だに行方不明のものもあるとのこと。せっかく県立美術館OPAMもオープンしたことですし、行方不明品の追跡や「首藤コレクション」の展示をぜひ開催していただきたいですね。