2016年5月6日金曜日

5月放送<口演童話の父 久留島武彦>


 隣県の熊本をはじめ、大分でも被害をもたらした4月の地震。
未だ余震が続いていますが、被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈りいたします。



さて、今回は玖珠町出身の児童文学者 久留島武彦についてご紹介しました。
玖珠町は「童話の里」としても知られ、町のいたるところに童話に関するモニュメントが設置されています。
番組内では紹介していませんが、三島公園にある桃太郎の銅像もそのひとつ。
この桃太郎の銅像は、昭和13年に久留島武彦の提唱により北九州に建てられ、昭和25年に玖珠町へと寄贈されたものなんです。
この銅像を制作したのが渡辺長男。実は銅像作家の第一人者であり朝倉文夫の実兄なんです。そのため、芸術的にも非常に優れており、町の指定有形文化財にもなっています。

今回、久留島武彦が森藩藩主の末裔である事は知っていたのですが、キリスト教の洗礼を受けているのは、この取材で初めて知りました。
土地の主でありキリスト教の洗礼をうけているということで、大友宗麟を思い出してしまいました。
久留島武彦は、クリスチャンであることを叔父に大反対され、布教活動を大々的に行う事はなかったのですが、この時の出会いが児童文学者、そして口演童話活動へとつながっていきます。
現在も「ひこわの会」のみなさんをはじめ、久留島武彦の思いを受け継いだ方々が子どもたちに童話を話し聞かせています。
「ひこわの会」の方々もおっしゃっていましたが、このような活動や久留島武彦の思いは、末永く受け継いでいってほしいものです。

晩年、久留島は「チャンス」という演目を口演することが多かったそうです。
もしかしたら、自分の生い立ちと重ね合わせ、口演童話を通してその思いを伝えたかったのかもしれませんね。


5月のプレゼント


今月は久留島童話名作選を抽選で
5名のみなさまにプレゼントいたします。

2016年4月4日月曜日

4月の放送 豊後府内の職人たち





今回は「豊後府内の職人たち」と題し、大分市歴史資料館で開催中の企画展を訪ね、大友時代の遺跡や出土品をとおして当時の職人を紹介しました。


番組で伝えたとおり、当時の大分は福岡の博多や大阪の堺と並ぶ国際貿易都市として栄えていた事から、日本においても世界に最も近い地域のひとつだったのでしょう。
また、大友館を中心に約5,000軒もの町屋が立ち並んでいたとの事。
「七 十一番歌合」にあるように、現代に生きる私たちでもたいへんな賑わいだったであろう事が想像できます。また、職人もひとつの職につき1人だけではなかった はず。「ああじゃねぇ、こうじゃねぇ、あそこには負けられん」などと言いながらそれぞれの技術を誇示していたのではないでしょうか。



出土品の中には、全国的に見てもたいへん貴重なものもあるそうです。
医師が使っていた薬研(やげん)もそのひとつ。
近現代のものは残っているそうなんですが、戦国時代のものが出土する事はなかなかないそうです。
また、当時は貝磨(かいすり)という職人がおり、螺鈿(らでん)という技法を持っていたそうです。
螺鈿はアワビやアコヤガイなどの貝殻の内側を使用し、漆器などに装飾を施す事やその技法を用いて作られた工芸品のこと。
南蛮貿易が発展していた事もあり、螺鈿の工芸品は海外でもたいへん人気だったそうです。

今回ご紹介したように、豊後府内には多くの職人がいましたが、残念な事にその技術のほとんどが現在の大分に継承されていません。
大友氏の崩壊や、南蛮貿易の規制など様々な時代背景はあるでしょうが、今その当時の技術が受け継がれていれば、また違った大分になっていたかもしれません。
そんな時代背景にあっても現代に受け継がれている貴重な技術は、今後も絶やす事なく、後世に受け継いでほしいものです。

4月のプレゼント


今回は、南蛮菓ざびえるを抽選で10名にプレゼントいたします。


【宛先】

〒870−0822
大分市大道町3丁目2-24
風之荘 本館

円相 視聴者プレゼント係


【〆切】
2016年 5月5日


※住所、氏名、年齢、番組の感想をご記入の上、官製はがきにてご応募下さい。

2016年3月1日火曜日

3月の放送<大分のひなまつり>




今回は「大分のひなまつり」と題して県内各地で開催されているひなまつりの様子やその歴史をご紹介しました。
ひなまつりといえば、女子の健やかな成長を祈る年中行事ですが、各地のひな祭りでは子どもや女性はもちろん、男性でも楽しめます。


一言でひな人形といっても大きいものから小さいもの、紙でできたかわいらしいものから豪華絢爛な装飾をまとったものまで、その形や表情は様々。
中には今にも動き出しそうなものもありました。
圧巻だったのは日田市の「雛御殿」。200年以上前のものから近代のものまで3000体以上のひな人形が展示されています。
それだけの数を集め続けているのもすごいですし、特注でひな人形を作ってもらっているというのもすごいと思いました。
歴史のある人形には魂が宿るとも言われていますし、これだけの数があれば、人形たちが夜な夜な動きだし、勝手に入れ替わっていても誰も気づかないのではないかと思ったりもしました。
「雛御殿」では一年中ひな人形が公開されていますので期間中に訪問できなかった方もご覧になることができます。


初めて知ったのですが、時代によって男雛と女雛の配置が左右違うんです。
近代雛の多くは左に女雛、右に男雛が位置しているのが一般的ですが、これは西洋文化の影響なんだとか。
そのため明治以前は高位とされた左側に男雛が配置されるのが多いんだそうです。また、全国的に見ると、地域によっては左が男雛、右が女雛の形式をとっているところもあるそうです。
加えて、今回の取材で気づいたのが、歴史あるひな人形が残っている地域の多くが城下町である事。
やはり古くから独自の文化で栄え、商人や武家なども多かった事も代々受け継がれてきた理由のひとつだと思います。

日本古来の年中行事「ひなまつり」。
古くから続く伝統や文化は、先人たちがそうしてきたように、我々も後世にしっかりと残していかなければいけないと改めて感じました。

3月のプレゼント

 
今回は5名のみなさまに抽選で綾部味噌醸造元の杵築一年熟成麦みそを
プレゼントします。

2016年2月4日木曜日

2月の放送 大分の仏像 ー六郷満山霊場の寺宝ー




今回は「大分の仏像」と題して、「弥生のムラ」国東市歴史体験学習館で開催された「六郷満山霊場の寺宝展」の展示物である貴重な仏像を紹介しました。

多数ある展示物の中でも「木造 如来坐像」はこれまでは一般未公開。
この仏像を見るだけでも取材した甲斐がある展覧会でした。

貴重な仏像や密教法具、書物などは、見ているだけで歴史を感じ、不思議な気持ちにさせてくれます。密教法具は今なお美しさを保ち、仏像は細部まで表現され、ひとつひとつに魂が入っていて、ともすれば動き出しそうな感じさえしました。

知らなかったのですが、衣の動きや彫り方などで、制作された時代がある程度推察出来るそうです。勉強になりました。


さて、今回展示されていたものもあわせ、国東市には400以上(国県市)の文化財があり、県内最多だそうです。
それだけ多くの貴重な品々が残っているというのは、宇佐神宮を中心に国東半島一体で発展した六郷満山文化の影響と、人々の信仰心の表れなのではないかと思いました。
いつの時代も信仰心は忘れてはいけないと改めて感じました。

またイベントが開催された弥生のムラは、安国寺集落遺跡公園となっており、竪穴住居や高床建造物のレプリカがあったり、古代体験ができたりと六郷満山以前の国東も見る事ができます。
広がる平野と古代の住居がマッチしていて、弥生のムラの一帯だけタイムスリップしているのではないかと思うほどです。

今回の取材を通して、国東は地域全体がパワースポットのようなものだなと思いました。
国東には太刀魚や、姫だこ、しいたけなど特産品も数多くあります。
神社・仏閣を訪ね歴史を知るとともに、特産品にも舌鼓を打つのもいいですね。