2019年3月5日火曜日

<3月の放送>真名野長者伝説



今月は「真名野長者伝説」と題し、豊後大野市三重町に古くから伝わる昔話を紹介しました。

ストーリーが長く、番組内でも紹介しきれなかった部分もあるので一旦整理すると・・・
まず炭焼き小五郎と玉津姫が出会い般若姫が生まれます。
続いて般若姫と橘豊日皇子(山路)が出会い玉絵姫が生まれます。
番組内で紹介したのはこの二世代のお話です。
真名野長者伝説は多くのサブエピソードが各地で語られており、この二世代のお話だけでいくつもの伝承が残されています。
それほどまでに有名なお話であったということでしょう。
そして玉絵姫に関するサブエピソードの中に興味深いものがあります。
それは・・・

実は玉絵姫は男の子で聖徳太子だった!
という衝撃的な内容です。
聖徳太子は馬小屋で生まれたとされており、出生に関する確かな情報が残っていないということと、玉絵姫が天皇のこどもであったことから、このような話が派生したのだと考えられます。
でももし本当だったとしたら、聖徳太子のルーツが大分県にあったことになるので、とってもロマンがありますよね〜!
伝説や伝承にはこのようにたくさんの夢といくつかの真実が隠されているからこそ人々を魅了し続けるのかもしれませんね。
 

3月のプレゼント


今回は一六本家「長者饅頭」を抽選で10名のみなさまに
プレゼントします。

風之荘のおしらせ

 
今回は、大分市大道町の風之荘本館で開催しました
斎場見学会の模様をお伝えしました。

この斎場見学会は、葬儀に関するセミナーやご相談などを
行い、地域のみなさまのご参考にしていただければという
催事です。

当日は、多くのみなさまにご参加していただき、たくさんの
質問や意見など拝受いたしました。

この斎場見学会は、風之荘の各斎場で開催する予定です。

2018年12月7日金曜日

12月の放送 大学を創った大分人 -新時代を築いた教育者たち


今月は「大学を創った大分人 -新時代を築いた教育者たち-」と題し、
「福沢諭吉」「金丸 鉄」「伊藤 修」「元田 肇」「石川清忠」
5人の創立者たちに迫りました。
彼らはどんな思いで、そしてどんな理想を掲げ大学を創ったのか。
取材を進めていくと、いくつかの共通点が見えてきました。
大きくは時代。今回は明治の初頭に創られた大学が多いのですが、
いわゆる明治維新を迎えた激動の時代です。
創立者たちの話を聞いていくと、日本のため!や自由のため!
あとは、まだ女性の社会的地位が低かった時代で女性を救うために!など
とても大きな視点で日本や物事を変えるために尽力していたことがわかりました。
環境が人間を作ると聞いたことがありますが、明治の激動の環境とはいえ、
ここまで大きな志しを持って他人のため、ひいては日本のために生きた彼らに
大きな尊敬を感じました。


今回、取材では3つの大学に訪れました。
そのうち慶應義塾大学と法政大学は東京のいわゆる都会の喧騒の中に
ある大学なのですが、キャンパスに入るととても静かで東京の真ん中にあることを
思わず忘れてしまいます。
法政などは中にセブンイレブンや中央大学はスターバックスがあったりと
一つの大きな街みたいでした。
学食や喫茶店など一般の方の利用も出来るそうなので、
大学生の活気に囲まれながら一息つくのもいいかもしれません。



12月のプレゼント


今回は「慶應義塾・法政大学・中央大学のオリジナルグッズセット」を
抽選で3名のみなさまにプレゼントします。

〈風之荘のお知らせ〉

今回は11月16日に風之荘 高尾山あけの斎場で開催しました
人形供養法会の模様をお届けしました。

この人形供養法会は、みなさまの長年の思い出や
愛着のあるお人形をご供養させていただくもので、
当日は、多くのみなさまがお人形をご持参していただき
ご参列されました。

風之荘では、今後も人形供養法会を開催する予定です。

2018年11月5日月曜日

11月の放送 深耶馬渓の開拓者 村上田長


今月は「深耶馬渓の開拓者 村上田長」と題し、玖珠と中津をつなぐ道を開拓した村上田長に迫りました。
村上田長は実家の病院を継ぎ医者としての家業をこなしつつ、塾を開き大分中学校の校長に就任するなど教育者としても活躍。更には田舎新聞を発行し、ジャーナリストとしても活動。更に更に!玖珠郡の郡長に就任し道の開拓に乗り出すなど政治家としても活躍したまさにマルチに活躍しました。今でこそマルチタレントとして活躍する人は多いですが、田長が生きた時代にここまで幅広い分野で活動し、功績を残した人物は他にいないんじゃないでしょうか。
田長が作った道は現在ほぼ残っていませんが、中津と玖珠の境目、一目八景から車で5分程の所に石碑が建てられています。人々がこの道にどれほど感謝し、田長を思っているかを感じることができます。
石碑がある休憩所(駐車場)から道路沿いに少し歩くと残された旧道を見ることができます。現在は人がほとんど入ることが無いのか、草が生い茂り見つけることすら困難な状態ですが、のみと鎚によって削りだされた岩壁がそのまま残されており、工事の苦労が感じられます。ショベルカーやはたまたダイナマイトすら無い時代に、自分たちより大きな岩や岩盤を人の手で掘り進めていたことに驚きを隠せませんでした。
平成29年に中津と玖珠が共同で申請した日本遺産にこの道路を開拓した田長のエピソードも含まれており、改めて田長の功績を深く知ることができます。紅葉シーズンですので観光地を巡るついでに、一目八景に訪れた際には村上田長の功績と工事に携わった人々に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?