今回は「日本を平和へと導いた陸軍大臣 阿南惟幾」についてご紹介しました。
ちなみに昨年8月の放送は「重光葵」でした。どちらも第二次世界大戦の終わりに深く関わった人物です。
※重光葵の放送はこちらから→https://www.youtube.com/watch?v=K3ULigUEFyQ
あえて徹底抗戦を唱え、自決という道を選んだ阿南惟幾の決断。この決断が陸軍の暴発を抑え、他国に統治される事なく、今の日本が存在することにつながっているといわれています。
さらにすごいのが、奥さんもその意をくみとり、出家されていること。
それほどまで、奥さんも阿南を愛し、愛されていたんだろうと思いました。
本編でも紹介しましたが、「ポツダム宣言受諾」を決めた御前会議の構成メンバーの6人中3人が大分県出身者。
阿南惟幾は竹田市、梅津美治郎(うめづよしじろう)参謀総長は中津市、豊田副武(とよたそえむ)軍令部総長は杵築市の出身です。
また重光葵は豊後大野市三重町の生まれです。
第二次世界大戦において、日本を平和へと導く重要な役割を果たした人物の多くが大分県出身だというのは誇るべきだと思います。
彼らがいたからこそ、今の日本の平和があるといっても過言ではないと思います。
終戦から70年以上が経っていますが、この先も戦争があったという事実ともに、平和な日本の礎を築いた偉大な先人達の意志を伝えていかなければならないと思います。
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