私自身、六郷満山という言葉は知っていたものの、そこにどんな背景があって、どんな歴史があるのかあまり知らなかった。
長く大分に住んでいながら少し恥ずかしいことだ、今回の取材を機に、こんなにも素晴らしいものがあるのだと、自分の住む大分県を更に誇らしく思えた。
国東半島を車で走ると、「あ!ここにも!そこにも!」と思わず口にしてしまうほど、いたるところに寺院がある。
「どんなに小さな集落でもきちんとそこに残っているのは、地元の方々がいかに大切に守り続けて下さったかということなんです」とある寺の住職が話していた。
今回取材した富貴寺大堂にもそんな地元の方々の思いの歴史が感じられた。
現存する九州最古の木造建築物「富貴寺大堂」
そう言葉にするとさらりと言えてしまうのだが、今日まで守り続けるにはたくさんの困難があったそうだ。
大友宗麟の時代には焼き討ちに遭ったり、戦時中には爆弾によって建物の一部が破損するなど・・・
関係する多くの人の思いがなければ今日見ることができなかったのだろうとその佇まいを前にふと思った。
富貴寺大堂の中に座る阿弥陀如来坐像も歴史的に非常に価値が高いものだ。
いまでこそ木目が表れて素朴な味わいになっているがその昔は色鮮やかな色彩像だったという。
それを再現されたものが県立歴史博物館に展示されているが、確かに、目の覚めるような鮮やかな色彩だ。
現在の姿になったのは、大堂の屋根が破損してしまったときに雨ざらしになってしまった歴史があるからだそう。
ただ個人的には、この木目の浮かび上がる現在の姿にその歴史の重みが感じられて好きだ。
その富貴寺大堂にも敷かれている七島イの畳。
最近はふちなしの畳を一般に琉球畳といわれているが、本当はこの七島イを使った畳が琉球畳なのだそう。
七島イの生まれは琉球。(現在の鹿児島県のトカラ列島)
しかし、それを持ち帰り世に広めたのは大分の商人なんだそうだ。初めはその丈夫さに関西・関東・東北の一般庶民が使うものだったのだが、イ草の畳におされるようになると、一日に2~4枚程度しか作られない七島イの畳は高級品になっていったそうだ。
高級品として確立してきた近年では都市部の富裕層に向けて出荷することが多く、大分県内への出荷というのは少ないのだ。そのため現在も大分県が唯一の七島イの産地だということを知らない人が多いそうだ。
その栽培から製造までには手間暇がかけられている。
残る農家は数軒しかないそうだ。
他の畳とまた違う若葉のさわやかな香りと丈夫でとにかく肌触りが優しい七島イ。
もっと多くの人に知ってもらいたい!そんな気持ちにさせられた。
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